Hot x 2


もしかしてを、僕達は >> back
 拍手の波で膨張した聖堂内へ、新郎親子に続いて、私達は入場した。堪えられない涙は、晴れの舞台だというのに、私の頬を、容赦なくべとべとに汚している。
「今日は嬉しい日なのだから――」
 そんな私の顔を見て、娘は私に微笑いかける。
「泣かないで、お父さん」
 泣きながらうなずいている私は、エスコートをしている筈の娘に、逆にエスコートされてしまっている体たらくで、それがいたく恥ずかしいと頭では理解しているのだけれど、オルガンとフルート、それに聖歌の奏でる神秘的な風に靡かされる、純白のウェディングドレスに身を包んだ娘の姿に為すすべもなく、私は涙に、翻弄されるしかなかった。滲む視界の中、重い足で一歩一歩、新郎の待つ祭壇の前へと、私達は歩を進めてゆく。つまり、一歩一歩私達が歩を進めてゆくたび、一歩一歩、娘が、娘ではなくなってゆく。いつしか私は喪失の感覚に囚われ、聖歌もオルガンもフルートも、客席からの拍手、歓声、自分自身の視界も、何もかもが混ざり合って真っ白になって、けれども何故か、私はしっかりと新郎の前で歩みをとめ、娘を彼に、託すことができていた。そして私は一歩ずつ、脇の席へと、離れてゆく。
 その席へ腰を下ろした私に、私の伴侶は桃色のハンカチをそっと差し出してくれた。そして、幾分か持ち直した私に、そっと囁くのだ。
「見て。あの子……ああ、とても綺麗に、なったわね」
 私の視界はまた、涙に滲みだした。ハンカチを当てても、離した頃にはまた新しい雫が視界を遮って、新郎の横に立つ娘の姿をぼやかしてしまう。けれどもその娘の姿が綺麗だ、という事は、誰に言われるでもなく、それだけは私が一番、よく解っていた。

「新郎、相沢祐一」
 演奏が止み、賓客が静まり返った聖堂に、神父の声が響き渡る。新郎の返事、誓いの言葉を読み上げる神父の声。そのおごそかな声が、静謐な空間を静謐なまま、震わせてゆく。新郎が娘に愛を誓うのが、私の耳にしっかりと届けられる。
「では、新婦……」
 神父が、娘の名を口にする。その瞬間、何故だか私の目から涙が一瞬にして乾いて、祭壇の前に立つ娘の輪郭がはっきりと、この目に焼きついてきた。ロサ・ギガンティアと形容できる娘が、ステンドグラス越しの色鮮やかな光を浴びて、美しく輝いている。
「新婦、陣内あずさ」
 はい、と返事した娘の澄みきった声が、鳥が天空へと舞い上がっていくように、上へ上へと響き、立ち昇ってゆく。そのように、私には聞こえた。
「汝は、相沢祐一を生涯の夫と定め、健やかな時も病める時も彼を愛し、彼を助け、生涯変わらず彼を愛し続ける事を、誓いますか?」


     ◇

「誓います、と言った娘の声が私の耳を震わせたとき、私は再び、ハンカチで顔を隠したのであった」
 六畳一間のぼろアパートの一室で、僕は読んでいたノートを、壁を背もたれにして座ったまま、放り投げた。窓枠が歪んで開ききらない窓から、夏の夕焼けと、扇風機もない部屋には嫌らしすぎるせみの声が、僅かな風とともに入り込んでくる。だのに僕の心中は、蒸暑いとかそういう愚痴のような思考を放棄して、ただ、静かだった。静かで、ひどく、哀しかった。

 小さい頃よく遊んでもらった陣内のおっさんが倒れた。その知らせを母から聞かされたのは、つい先日のことだ。そして、彼が僕の見ている前で息を引き取ったのも、つい先日のことだ。
 私が彼の運ばれた病室に入ってから二時間程、彼は私に、色々なことを話してくれた。一つは自分も病弱ながら、自分より体の弱い妹を守るのだと、空手で体を鍛えていた息子の話。もう一つは、カタクリの花のように可憐で華奢な、娘の話。その二人がとても仲良しだったことが解る色々な出来事を、彼は目に涙を湛えながら、長々と話した。そして最後に……
 彼は、笑わない人だった。時につい口元を緩めたとしても、そのことに気づくとはっとして、すぐ哀しそうな顔になる、そんな人だった。どうして、笑わないの? そう私が無邪気に聞くたびに、私は咎人だから、と彼は、いつもそう、答えていた。
 最後に彼は、彼の犯した"罪"の事を、私に話した。私は天国へ寄り道して、あずさの前で頭が擦り切れるまで土下座をして、体だけになって、地獄へと行くのだ。そう言って、彼は眠った。目を覚ますことは、二度となかった。

 死んだはずの彼から今日手紙が届いて、僕は今、彼の住んでいたアパートに来ていた。消印は八月の十五日。僕が彼の元を訪れた、一日前になる。
  『私のアパートにあるノートを全て、処分して欲しい。君に迷惑を掛けることを申し訳なく思うが、頼れる人が君しかいないので、よろしく頼みたい。』
 その一文に同封された地図をたよりに、私は陣内のおっさんが暮らしていたぼろアパートの一室に、腰を下ろしていた。そこには売れそうにもないぼろぼろのちゃぶ台と、部屋のほとんどを埋め尽くす、膨大なノートの山だけがあった。
 そのノートの全てに、陣内あずさという女性の幸せそうな日々が、東海大付属高校で教職を勤めている、陣内のおっさんと共に、隙間なく描かれていた。しかしそれがフィクションである以上、ノートの中の陣内あずさが、カタクリに喩えられた陣内あずさであるわけがなく、もしもの存在である以上、彼女は陣内あずさの別人でしか、ありえなかった。 
 人はもしもという思いに心を縛られた時、こんなにもうず高く、ノートを積み上げるものなのだろうか。文で、絵で、歌で、詩で、人はもしもという思いを、描き続けるものなのだろうか。
 それはただ、やり直しの効かないこの時の中において、もしもという存在でしか、ありえないというのに。









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